ウィルだよ!

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2017年1月25日水曜日

どうぶつの寿命と向き合うということ

こんにちは。
今年初めての投稿になります。

2017年も、ウィルどうぶつクリニックをどうぞよろしくお願いいたします。

年末年始は、人間社会がざわつくせいか?大きな節目のためか?
どうぶつたちも体調を崩したり、精神的に落ち着かなかったりと、人と一緒に生きている子たちは人の生活の影響をやはり受けているようでしたね。

私も12月は手術・入院と悲惨な始まり方(苦笑)でしたが、年が明けておかげさまで以前と同じように動けるようになってきました。

冬は特に高齢のどうぶつたちにとっても大変な時季なようです。

鍼灸という治療をさせていただいているためか、高齢、とくに、寿命に近いようなどうぶつたちを診させていただくことが多いので、
私も、必然的に命ってなんだろう、生きる、死ぬってなんだろうと考えることが多くなります。

どうぶつも高齢化で、今までは多くなかった病気が増えてきました。
また、獣医療の進歩で、判明する病気も増えましたし、治療の幅が広がった分、回復できる子も増えましたが、飼い主さまの悩まれる機会も増えたと思います。

犬種、猫種的に大まかな平均寿命を迎えた子たちが難治性の病気になったとき、どこまで検査や治療をしてあげるのか。入院させてでも、麻酔をかけてでも良くなる可能性にかけて病院に任せるのか、できることは少ないかもしれないけれど、お家で見守りながら過ごさせてあげるのか。
その選択が、自分のエゴなのではないか、そもそも、こんな病気になったのは自分のせいなんじゃないか、この子はこんな治療望んでいないのではないか…大事にされている方ほど、悩まれますし、心を痛めます。

その一方で、病気になったからと捨てられるどうぶつがいる。病院になんて一度も行かずに、気づいたら亡くなっていました、という子もいる。

どうぶつに対する愛情、お金、時間のかけ方はその家庭によって全く違いますから、どうぶつは、迎えられたお家の状況で、生き方も大きく変わってきます。

鍼灸に来てくださる飼い主さまは、本当にどうぶつたちを家族の一員として大事にされている方がほとんどです。
ですから、皆さん悩みや不安を持ちながら、どう過ごさせてあげるか、考えながら通院されています。

最近、いろいろな飼い主さまとお話させていただいて、思うことがあります。
それは、真面目で愛情深い方ほど、お家の子の病気に心を痛めているということ。
それに対して、どうか、つらくなり過ぎないで欲しいということです。

大事な家族であるどうぶつの病気や老化は、確かにつらいこともあります。
苦しかったり、痛かったり、ご飯を今までみたいに食べられなかったり、排泄がうまくできなくなったり。

でも、皆、誰でも最後には死ぬ。

希望している通りの死に方ができるかなんてわからないですが、身体の全体としてのバランスが取れなくなったときが寿命なのだとしたら、病気かそうでないかというのはあまり重要ではなく、そのときそのときで一番良い状態になってもらえるように、お世話をしてあげることしか、私たちにはできないのではないでしょうか。

その時に、もしとても痛いのなら、痛みをできるだけ取ってあげるようなお薬を使ったり、眠れないのならほっこりとお灸をしてあげたり。
その方法を探すのが、実は難しかったりするのですが…

病気というものにとらわれ過ぎて、今までその子と過ごした楽しかった時間まで忘れかけてはいないでしょうか。

大切なのは、ふっと息をはいて、「大好きだよ」って言ってあげることなんじゃないかと私は思います。
そうすると、ちょっと笑顔になれると思いませんか。

どうぶつたちは、病気に対して文句を言いません。ただひたすら、受け入れて生きている。
どうぶつの強さであり、それをどうしてあげるかが私たち人間サイドの、永遠の課題でもあると思います。

どうぶつたちが本当はどうして欲しいか、私には本当のところはわかりませんが、飼い主さんが、悲しい顔をしたり泣いたりしていたら、きっとおうちの子は心配してしまうと思います。それは、ウィルが私に教えてくれたことです。

獣医さんの中にも、「治せなければ、意味がない」と言う人がいます。それでは、「治らない」病気を持ったどうぶつたちは用済みなのでしょうか。

そうではありません。

病気を受け入れて、ただひたすらにその日を生きている、その動物の姿から、私たちは学べることがたくさんあると思います。
私のようなワカゾウでさえ、考える機会をもらっています。
きっと、人も動物も最期をどう過ごすか、大事な人やどうぶつをどう過ごさせてあげたいか、それは同じなのだと思います。

もう歳だから、寿命だから諦めよう、と言っているのではありません。
私はもっと、どうしたらどうぶつが楽になるのか、痛みをとってあげられるのか、元気に過ごしてもらえるのか、その技術や知識を増やしていかなければならないと思っています。

ただ、少しずつ、寿命や老化を「受け入れる」という作業を一緒にしていきたいと思っています。

私は何かの宗教の信徒でもないですし、心理学者でもありません。きっと5年10年したら、少しずつ考え方も変わっていくのでしょう。
自分がうんと歳をとったときに、どんな風に感じるかはまだわかりませんし、現世では死んだことがないので死に際の自分の気持ちも想像できません。
もし大事な夫が、娘が、と考えたら、全く同じようには考えられないかもしれません。

でも、きっと、自分が病床にあっても、大事な家族に悲しい顔をしてほしくない、何もできなくてごめんねなんて思ってほしくない、と思うと思います。
ウィルの教えてくれたこと、診させていただいていた患者さまの死から学ばせていただいたことの大切さは変わりません。
だから、今日も ありがとう の気持ちを忘れずに患者さまに向き合っていきたいと思っています。



・・・いっぱい小生意気なことを書きました!
気づいたら私も先日誕生日を迎え、慌ただしくひとつ歳をとりました。

お休みをいただいて、家族で伊豆へお出かけしてきました。
樹齢2千年を超えるご神木のある、来宮神社にお参りに行ってきましたよ。

今年は自分の健康にも気を付けていきたいと思います。
いや、気をつけていたつもりなのですが、いつの間にか無理が祟っていたのですね・・・

私も自分自身の不調から学ぶことが多いです。
からだって不思議。












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